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> No.171[元記事へ]
東京女子大学元教授で自称哲学者らしい林道義なるお人が、大学定年後に、大学から名誉教授なる称号を与えられないからといって、ここ何年も大騒ぎをしているらしい。
林道義の泣き言に寄れば、
>東京女子大学は、二〇〇五年三月に定年退職した私に対して、名誉教授の称号を与えないと決めた。 この名誉教授不授与によって、私の名誉が著しく傷つけられたことを述べておきたい。
社会から見て、当然与えられると思われている「名誉教授」の称号が与えられないとなると、「よほどの問題があるからだ」という目で見られることを意味している。
林道義なる人間が日本に存在しているという事を私は畠中行造という人のブログで、反フェミニズム論者という事で知ったが、林道義が、社会から見て「名誉教授」称号を当然与えられるとおもわれている、とはちぃーとも思わないね。思っているのは東京女子大「非」名誉教授林道義だけじゃないのかなあ。
>たしかに、名誉教授の称号は、もらったところでたいした価値のない、それほどの名誉でもない、「誰でも」もらっている代物である。
それだけ分かっているなら、「名誉教授」称号をくれないなどと、なぜ大騒ぎしているのだろう。訳わかんないねえ。
>だから、与えてしまえば、またもらってしまえば、なんということもない、世間もたいした関心を持たない、ありふれた現象である。
おやそうですか。私は名誉教授というシロモノは大学に特別な貢献をした教授がその貢献を表彰するために与えるものだとばかり思っていましたよ。
そうとわかれば、これから名誉教授という肩書きつきの元教授に出会ってもそこらへんの石ころ並みに考えればいいわけだ。
>ところが、誰が見ても与えられて当然の人間に与えられないとなると、事は重大になってくる。
そりゃあそうだわさ。例え石ころ並みの称号でも、たいしたものだと私のように誤解する人が世間にはごまんと居るから、誰が見ても与えられて当然の人間に与えられないと、事は重大に成りまさあね。
>東京女子大学の場合は、その基準はかなり甘く、 短い勤続年数の者にも与えられており、さらに業績や功績が皆無に近い人ももらっているばかりか、かなり問題のある場合にも授与されている。
まあそうですか、本当に驚きですなあ。それじゃあ、要するに東京女子大学の名誉教授というのは教授だった人間は、よくよくの事がなければ誰でもなれるんだ。
>私は定年まで教授勤続二十年以上であり、
長年勤続ご苦労さま
>また私の講義には一学年六百人のうち、毎年たいてい半数以上が受講し、学生による授業評価もつねにたいへん高かった。受講者数が数人とか十数人という授業にくらべたら、採点の労力の違いも歴然としている。
評判が良くてよかったですねえ。けれど学生の評判をどうやって調べたのだろう。もしかして、林センセーは、受講登録さえすれば、全部欠席しようが、白紙答案を提出しようが優の単位をくれる、という評判が立っていたんじゃあないのかなあ。もしそうなら、採点などしなくていいんだから、受講生が何百人居ようが関係なかろう。
それに、採点の労力とおっしゃいますが、給料を貰ってんだからそれくらい働くのは当然じゃなかろうかね。
>さらに学問的業績においても社会的な活動においても、大学への貢献は大であったと自負している。
全く恐れ入った自大野郎だなあ。よくもまあ図々しく自分のことを自慢できたものだ。学問的業績といったってそれは他人様が評価すべき事。自画自賛は通りゃあしませんって。
>それなのに、いい加減に与えられてきた名誉教授の称号が私には与えられなかったのである。
名誉教授なんぞという肩書きなど屁でもないというような事をお書きになっていたのは林道義さんではなかったっけ。そんな「いい加減に与えられてきた名誉教授の称号」とおっしゃるなら、なぜそんなに大騒ぎをしてもらえない、もらえないと泣き言を言っているんだろう。
そんな「いい加減に与えられてきた名誉教授の称号」ものなんぞ、例え礼を尽くして差し上げますといわれても、蹴飛ばすのがあんたの生き方にあっているんじゃあなかったけ。
>となれば、世間の誰もが「よほどの瑕疵・欠陥があるのだろう」と受け取るのが普通である。
そりゃそうだ。どんなぼんくら無能教授でももらえるものをもらえなかったんだから、林道義は、学問的業績においても世間的な活動においても、大学への貢献が最低だったと、大学が判断したのだから、いくら自画自賛で貢献大であるとわめいたところで、しかたなかんべさ。
長くなるので以下省略。
興味をもたれたお方は「東京女子大学を告発」というキーワードで検索すると、東京女子大学非名誉教授林道義さんの泣き言のオンパレードにお目にかかれます。
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